ご当地駅メロディー資料館
駅メロの新事実?

 JR新宿駅と渋谷駅に発車メロディーが採用されてから25年以上が経ち、全国に駅メロが広まった。それからインターネットが発展し、全国の駅メロを楽しむ人々も増え、情報が素早く共有できるようになった。しかし、時が経つにつれ事実が正しく伝わっていなかったり、噂があたかも事実のように書かれていたり、情報が失われたりもしている。

 そこで今回、当サイトでは、ご当地駅メロをはじめとした駅メロの忘れられた歴史や情報を探し出す調査を実施。調査に当たっては、信憑性が高いとともにその時代の事実を伝える情報収集手段の基本「新聞記事」を使用した。

 その結果、今までインターネット上で語られてこなかった事実や新情報などを発見。中にはこれまでの駅メロの歴史の常識を覆す内容もあった。更にこの過程で、ご当地駅メロ以外の一般メロディーについても新たな情報を得ることができた。以下にその調査結果を紹介する(特に注目したい情報、新たな情報については太字で記した)。

 なお当記事の掲載にあたり、「発車ベル使用状況」のしみず様に内容への助言をご協力いただいた。この場をお借りして御礼申し上げたい。

※以下の内容は、「ご当地駅メロディー資料館」の各駅紹介ページにも順次反映していく。
※当記事の内容は、2019年10月時点のもの(2016年3月当記事を公開、5月12日福井駅について追記、2018年6月25日篠ノ井駅について追記、2019年10月25日笠岡駅について追記)。


○調査対象のメロディー…主に使用開始時期が古いもしくは不明なもの、情報が著しく少ないもの、曲名や使用開始時期等の情報元が不明なもの
○調査手段…全国の新聞社の新聞記事(新聞社の記事データベースに収録されたものを含む)
○調査訪問先…国立国会図書館、東京都立中央図書館、千葉市中央図書館、金沢市立玉川図書館、福井市立中央図書館、神戸市中央図書館、岡山県立図書館、広島県立図書館


地方別にまとめています。以下をクリックするとジャンプします。

●北海道
○函館駅 発車メロディー
 JR北海道唯一の発車メロディーでマニアからの人気も高いこの曲。しかし、これまで「旅立ちの鐘」という曲名だけがよく知られていただけで、「青函連絡船をイメージした」「教会の鐘がモデルになっている」などという噂も流れ真相が分かっていなかった。

 使用開始は1990年12月1日。前日をもってJR北海道が全駅の発車ベルを廃止したため、その代わりとして駅独自に採用したようだ。北海道新聞函館版によると、制作したのは当時の函館駅員。「出来上がった曲は『旅立ちの鐘』。(中略)教会の鐘や船の汽笛、海に面した函館の情景をシンセサイザーで表現……」(同紙より)とある。なお、当初は青函連絡船の出港合図に使われていたドラの音を採用することも考えていたらしい。
(参考:1990年11月29日北海道新聞函館版)

○旭川駅 発車メロディー
 早い時期に使用されなくなったためにこれまでほとんど情報が上がっていなかったが、多少の事の成り行きが判明した。北海道新聞によると、使用開始は1990年9月1日のダイヤ改正からで、函館駅よりも3ヶ月早かった。メロディーは「ピアノの音」。同年12月のJR北海道内全駅の発車ベル廃止に先駆けて試験的に変更されたそうだ。発車ベルの廃止といえば1988年の千葉駅が話題に上るが、JR北海道ではこれを全社的に取り組んだ。他の駅についても「主要駅については地域の特色を生かしたメロディーを流すことも検討している」(同紙より)とされているが、結局メロディーを採用したのは旭川と函館の2駅だけだった。

 音声については、Wikipediaに投稿されている走行音を録音したものにメロディーが混じっているのが確認できる。更にYouTubeにて、メロディーが使用されている当時の貴重な映像を発見した。撮影は1990年9月で、まさに変更直後のものだ。
(参考:1990年11月3日北海道新聞)


●東北
○仙台駅 発車メロディー
 その壮大な曲調で、函館駅と同様マニアからの人気が高いのが仙台駅の発車メロディー。駅メロ創成期から使われており、これまで使用開始日は新幹線ホームが1989年10月8日から、在来線ホームが同年11月22日からというのが「定説」であった。しかし新聞を調査した結果、これとは異なる事実が見えてきた。

 実際の時系列はこうだ。初めは1988年11月22日、仙石線ホームで使用開始。「1989年」というのが誤りだった。これは同線の全通60周年にあわせたもので、これまで「JR初の発車メロディー」とされてきた新宿駅や渋谷駅よりも先に使用していたことが判明。そしてこのメロディーが好評を得たため、1989年3月11日に在来線全ホームで採用。更に同年10月8日に新幹線ホームでも採用した。いずれの日も地元出身の宝塚スターなどのゲストを呼んで盛大に記念式典が開かれている。

 しかし、仙石線ホームが変更された際の当時の新聞で「全国のJRグループで初めて」(河北新報より)と報じられながらも、地方の駅ということもあったためか、4ヶ月後には新宿・渋谷両駅に発車メロディーが登場しスポットライトを奪われてしまった形だ。同年代に登場する富山駅や金沢駅などのメロディーについての新聞記事を見ても、先例として挙げられるのは新宿・渋谷両駅ばかりで、仙台駅を挙げる記事はほとんどない。また、制作者である榊原光裕氏の公式サイトでも、作曲年を1989年と表記しているのも誤解を生んだ要因かもしれない。

 まことに不憫だが、「JR初の発車メロディーは仙台駅だった」というのは紛れもない事実である。

 続いてそれぞれのメロディーについて。在来線は「『青葉城恋唄』をベースにしたもの」(同紙より)、新幹線は「杜の都にふさわしいようにと『緑の風、広瀬川のせせらぎ、ケヤキの緑』をテーマに……」(朝日新聞宮城版より)となっている。在来線のメロディーについては、1988年11月8日の採用決定の記事では「静かな導入で始まり、カネの連打で終わる……」とある。また1989年3月11日の全ホーム変更の際の記事では「仙石線ホームのメロディーをさらに編曲し『初めはゆったり、最後はすっきり』となった音楽が流れ……」(河北新報より)とある。このことから、仙石線ホームで当初使用されていたものはあおば通駅で現在採用されているバージョンで、仙台駅地上ホームで現在まで使われてきたバージョンはその編曲版である、ということが考えられる。

 曲名については、在来線が「青葉城恋唄」、新幹線が「杜の都」などと説明されることが多いが、いずれもそれを「ベース」もしくは「テーマ」としたものであり、誤りである。特に曲名は決められていないようだが、著作権管理上つけられた曲名はそれぞれ「JR東日本仙台駅発車音楽(在来線ホーム)」「JR東日本仙台駅発車音楽(新幹線ホーム)」である(日本音楽著作権協会(JASRAC)作品データベースから)。
(参考:1988年11月8日河北新報、同22日同紙夕刊、1989年3月11日同紙夕刊、同年10月9日同紙、同日朝日新聞宮城版)

○酒田駅「夜明けのうた」
 地元出身のシャンソン歌手・岸洋子が歌った曲。接近メロディーとしての使用に触れた記事は発見できていないが、1995年1月6日読売新聞東京版夕刊によると、このころには特急列車の発着時にBGMで流していた。この時流れていたのが歌付き、メロディー、オカリナ演奏の3種類であったということから、接近メロディーになったのはこれ以降で、その音源はBGMとして使われていた「オカリナ演奏」を編集したものと推測される。彼女は1992年に他界し、地元では1994年から記念音楽祭が毎年開かれていたことから、当時、彼女の功績を称える様々な取り組みに力が入っていたとすれば、このころから使い始めたと考えても不思議ではない。

 ちなみにその「オカリナ演奏」の音源は、1990年に発売されたCD「日本のうた こころのうた」に収録されているもので、演奏しているのは「清流」「雲を友として」など、かつて首都圏JR駅で使われていた発車メロディーでおなじみの宗次郎。接近メロディーに「清流」を使う同じ羽越本線の鶴岡駅とともに、首都圏から消えた「宗次郎メロディー」の意外かつ貴重な残存駅である。
(参考:1995年1月6日読売新聞東京版夕刊)


●関東
○木更津駅「証城寺の狸囃子」
 千葉日報の地域面に、ダイヤ改正の記事とあわせて小さく載っているだけであった。同紙に「曲は市職員が編曲したものを使用する」とある。
(参考:2004年10月14日千葉日報)

○館山駅「浜千鳥」
 一般に「ご当地駅メロディー」には分類されないが、作詞者である鹿島鳴秋(1891-1954)がかつて近隣の和田町(現・南房総市)に住んでいたことから、これとの関連性を指摘する意見もあった。

 朝日新聞によると、使用開始は1991年3月16日のダイヤ改正から。「内房線和田浦駅にほど近い松林にある、鹿島鳴秋の『浜千鳥歌碑』にちなんで館山駅員が選んだ」(同紙より)とある。やはり和田町とのつながりが意識されていた。

 同日には館山のほか、安房鴨川、佐原、銚子の各駅もメロディーに変更されたという。この頃JR東日本千葉支社管内で採用されていた発車メロディーはいわゆる「永楽系」と「東洋メディアリンクス系」のものであり、館山駅の「浜千鳥」も永楽系の汎用物で他の駅でも使用されている。このことから、初めからこの曲を採用するつもりだったわけではなく、たまたま候補のレパートリーの中にこの曲があったので選んだ、と考えるのが自然である。館山駅は館山市、和田浦駅は和田町(現・南房総市)と地域が異なることもあり、当サイトでも掲載していない。

 同管内では唯一残っている「永楽系」のメロディーであり、現在は全社でも少数派となって新規の採用もほとんど無い。にもかかわらず放送設備改修の度にわざわざ音源を取り寄せ、今でもこの曲にこだわっているのには感心する。
(参考:1991年3月20日朝日新聞千葉版)

○港南台駅 鳥の鳴き声の接近チャイム
 1998年7月4日のATOS(東京圏輸送管理システム)導入まで使用されていた特殊な接近音。地元の港南台地区が「野鳥のさえずる街」をキャッチコピーにしていたことから、カッコウとホトトギスの鳴き声が接近チャイムに採用されていた。

 これに直接触れた新聞記事は発見できていないが、1994年4月9日産経新聞の、港南台地区のまちづくりを取り上げた記事の中で、「『駅のホームに小鳥のさえずりを流す企画』も動き出している」とあり、この「企画」が接近チャイムのことを指すのならばこのころに採用されたものと考えられる。
(参考:1994年4月9日産経新聞)

○東京メトロ南北線 接近・発車メロディー
 1991年の開業から使用されていた接近・発車メロディー(サイン音)。環境音楽作曲家・吉村弘氏が制作したもので、メロディーの採用は当時の営団地下鉄では初の試みであった。

 曲については王子駅近くを流れる音無川をイメージしていることはよく知られていたが、もう少し詳しく調べてみた。1994年1月12日の読売新聞夕刊によると、吉村氏が実際に王子周辺を歩いて構想を練ったという。そこで音無川が流れているのを見つけ、メロディーのイメージを「水」にしたとのこと。接近は「水滴や波紋」、発車は「水の動的な流れ」をモチーフにしたそうだ。言われてみればそのようにも感じる。同年10月3日の朝日新聞夕刊では「王子らしさを取り込もう、と近くを流れる音無川や滝をイメージして作りました」と載っている。

 当時はまだ駅メロディーが出始めてきたころ。営団も構内放送がうるさいという意見からメロディー採用に至ったようだが、公共施設で流す音楽ということから「音楽的すぎるのはだめなので、さりげなくシンプルに。でも小さすぎると騒音にかき消されてしまう、かといってうるさくても迷惑……」と、随分苦労した末の作品だったようだ。
(参考:1994年1月12日読売新聞夕刊、同年10月3日朝日新聞夕刊)


●甲信越
○篠ノ井駅 ファンファーレの発車メロディー

 JR東日本が発車ベルからメロディーへの切り替えを進めていたころに使われたもの。使用していたのは1990年3月からの約1年間と短かったため駅メロの歴史上ではあまり記録に残っておらず、経緯についてもはっきりとしていなかったが、当時放送していたラジオ番組がこれを面白おかしく取り上げたことで、番組ファンの間では有名な話だった。以前から個人サイトでは放送の録音がアップされていたが、最近、それが動画投稿サイトにアップされたこともありじわじわ注目が集まるようになった(よって現在出回っているのは“ラジオで流れた録音”の録音である)。

 これを取り上げたのはTBSラジオの『斉藤洋美のラジオはアメリカン』という深夜番組のワンコーナー「おもしろカセット(おもカセ)」。リスナーが録音した面白い音声を紹介するもので、強烈なインパクトを与えたことで番組の歴史に残るほどの話題になったという。

 個人の番組ファンサイト「Moment of Sunrise」(現在閲覧不可)にあった放送内容の記録をもとに、発車メロディーを取り上げた回を以下にまとめる。
1990年
5月6日
『おもカセ』に「これがJR篠ノ井駅の発車ベルだ」と題し、1番線のメロディーが投稿されこの日の1位に選ばれる。地元の新聞の投書欄に「長野市内S駅で電車が発車するときに流れる音が耳障りだ」という記事があったのを見つけた投稿者が、それが篠ノ井駅であることを突き止め自ら録音しに行ったとのこと。出演者は「耳障りという問題じゃない」「戦争の突撃か」などとコメントし大爆笑。
7月8日 通学で駅を利用しているというリスナーから投稿。「ファンファーレは3月10日からやっている。1〜3番線で音が違う」という内容。
8月5日 90年上半期おもカセグランプリに「これがJR篠ノ井駅の発車ベルだ」が選ばれる。
8月19日 『おもカセ』に2・3番線のメロディーが投稿され、この日の1位に選ばれる。
9月9日 篠ノ井在住のリスナーから投稿。ファンファーレについて駅に取材しに行き、駅旅行センター所長から以下の話があったという。

・駅長が初め、篠ノ井にある恐竜公園や駅前に建っている恐竜の像にちなみ、恐竜の声を発車ベルにできないかと考え始めた。音声合成で色々作ってみたが、恐竜の声とはっきりわかるものがつくれなかったため断念
・そこで今度は、長野が冬季オリンピック招致を目指していることからファンファーレを使うことを発案
・県警、消防局(※)、陸上自衛隊の音楽隊に数曲ずつ作ってもらった。1番線が消防局(※)、2・3番線が自衛隊の演奏
・この駅長はアイデアマンとして有名だったが、3月に退職した
※長野市の消防局には音楽隊は無く、「消防団」が正当であると思われる。
11月11日 『思い出のおもカセグランプリ・リクエスト大会』で「これがJR篠ノ井駅の発車ベルだ」が選ばれる。
11月24,25日 番組イベント「ふれ愛キャンペーンin篠ノ井駅・高岡大仏」が開催される。出演者が特急あさまで上野から篠ノ井へ向かい、リスナー約50名がホームで出迎え。一緒に発車メロディーを聞き、流れる度に一同拍手で盛り上がる。
12月2日 イベントの報告。思ったより音量が小さくて残念だったと感想。うるさいという苦情で音を小さくしたらしい。この日のゲストだったタレント・ルー大柴氏は、録音を聞き「オーバーですよね」「いいなぁ、これ」とコメント。
1991年
8月4日
「ファンファーレが無くなった」と投稿。駅員曰く「長野にオリンピックが来ることが決まったのでここで一つの区切りをつけるため」。都内で流れているのと同じ普通の発車メロディーに変わっていたという。

 この一連の放送内容をもとにさらに詳しく調べてみた。まず投稿のきっかけとなった新聞への投書。「地元の新聞」から、長野県内で購読率5割を超える信濃毎日新聞の可能性が高いと踏んで調査したところ、ビンゴ。1990年3月26日の投書欄「建設標」に当該の記事があった。「耳障り」とまでは書いていなかったが、駅の放送やベルが見直されている最近の風潮から逆行しているとし、「さまざまな思いで乗車する客に、一律に宝くじ抽せん会のようなファンファーレは、こっけいだし迷惑だ」と苦言を呈している。

 更に経緯について報じた決定的な記事を、投書から約1週間後の同紙面で見つけた。(1990年)3月10日から篠ノ井、小諸、塩尻、南小谷、岡谷の5駅で発車ベルをメロディーに変え好評を得ている、という内容。篠ノ井については「冬季五輪招致の機運を盛り上げるのに協力できたらと考えまして…」(同紙より)と駅長のコメントが載っており、「一−三番ホームまで、それぞれ違うラッパ演奏音楽が約十秒間流れ、利用客を”元気良く”送り出している」とある。「苦情殺到で取り止めた」というイメージがついていたが、意外にも利用客からの好意的な意見も載っていた。ただメロディーが「恥ずかしい」というコメントにはさすがに笑ってしまった。

 ちなみに篠ノ井以外の4駅で採用されたのはこの時点で「Water Crown」の短縮バージョンだった模様で、篠ノ井もファンファーレの後は同じものに変わったが、岡谷や塩尻はベルに戻り、2016年に南小谷を最後に消滅してしまった。

 今ではメロディー化への過渡期が生んでしまった失敗作のように語られているが、前例が少ない中、サービス向上のために試行錯誤した結果だったのだろう。この経験があるからこそ、今の駅メロの型ができているのだと前向きに捉えよう。
(参考:1990年3月26日信濃毎日新聞、同年4月4日同紙、1991年5月 日音「モアイのスキップ-斉藤洋美のラジオはアメリカン」)


●関西
○JR神戸線 接近・入線メロディー

 1997年3月8日のダイヤ改正から使用。現在は他の路線でも使用されている。メロディーについては「砂浜や輝く波がシンセサイザーで表現されており……」(神戸新聞より)、「『穏やかな瀬戸内海と人に優しい街・神戸』をイメージしたとのこと」(読売新聞大阪夕刊より)とある。採用駅は「神戸線(大阪-姫路間)の西明石駅を除く三十二駅」(神戸新聞より)とあるのだが、当時未開業の駅を除いても数が合わないのが謎(実際には西明石のほか、大阪、宝殿、御着も変更されなかった)。

 メロディーを制作したのはサウンドデザイナーの西谷喜久氏。かつてはJR関西空港駅や京都駅の接近・発車メロディーを手掛け、現在でも近鉄特急始発駅の発車メロディー(2012年の「縁を結いて」以降すべて)などの制作を担当している。

 なお最近は入線メロディーの曲名を「さざなみ」と説明されるようになったが、これはさくら夙川駅のメロディーが変更された際の記事(2010年4月14日神戸新聞)が初出。但しその曲名の出所が判明しないため、当サイトでは記載していない。なお西谷氏によれば、特に曲名は設定していないという。
(参考:1997年3月7日神戸新聞、同8日読売新聞大阪夕刊)

○大阪環状線 接近・入線・発車メロディー
 1999年5月10日のダイヤ改正にあわせて採用された。現在は大阪環状線のほか、JR東西線、宝塚線などでも使用。当時の新聞での掲載は発見できなかったが、2002年5月19日読売新聞大阪版「ひと駅ひと物語」の寺田町駅の回で少し触れられていた。「コンセプトは『さわやかでシンプル』『大阪の八百八橋と川の流れ』。JR西日本が東京の音楽プロダクションに制作を依頼した」(同紙より)とある。
(参考:2002年5月19日読売新聞大阪版「ひと駅ひと物語」)

○京阪電鉄 発車メロディー
 現行のメロディーより前、「京の五条の橋の上……」の歌詞にちなんで採用された童謡「牛若丸」の発車メロディー。京阪特急のダブルデッカー(2階建て)車両デビューにあわせ1995年12月25日から出町柳、三条、淀屋橋の各駅で順次使用開始。

 なお「牛若丸」以前に使われていた特急の発車メロディーについて、現在、曲名を「フィガロの結婚」(モーツァルト作曲)と説明されることが多いが、実際には誤りではないかと考えている。2010年8月14日朝日新聞大阪版夕刊「響紀行」によると、制作したのは発車ベルの設備担当だった木村陸朗氏。「テンポよく音階が上がり、空に舞い上がるような感じは、海軍兵学校での経験がもとになった」(同紙より)とあり、起床ラッパや規律ある生活がメロディーのもとになっているとされている。

 そもそも発車メロディーと「フィガロの結婚」の似ている部分とされる「もう飛ぶまいぞ、この蝶々」の一節を比べてみても、発車メロディーは付点16分音符、32分音符、8分音符のリズムを4回繰り返すフレーズで、更にこれをもう一度繰り返す。一方「フィガロの結婚」は、裏拍から入って付点16分音符、32分音符、8分音符を3回繰り返すフレーズで、次のフレーズは発車メロディーと違って下降の音階となっており、リズム自体が異なる。

 「フィガロの結婚」と呼ばれるようになった経緯について、これは仮定であるが、誰かが「フィガロの結婚に似ている」と言い始めたのが広がって、いつの間にか「発車メロディー=フィガロの結婚」と定着してしまった。これを見た京阪までもが公式商品などで「フィガロの結婚」と表記しはじめた(「発車メロディでお目覚め♪走る!アラームクロック」や「京阪ミュージアムトレイン」の発車メロディーコーナーなど)ことで、さらに曲名の浸透に拍車をかけたのではないだろうか。

 しかし現在、京阪が公式に「フィガロの結婚」と言っている以上、「これは『フィガロの結婚』だ」と言わざるを得ないのも確かではある。
(参考:1995年12月12日交通新聞、2010年8月14日朝日新聞大阪版夕刊「響紀行」)


●北陸
○富山駅「こきりこ節」
 1989年10月14日に採用されたJR西日本初の入線・発車メロディー。富山県民謡「こきりこ節」をアレンジしたもので、曲調のせいで「暗い発車メロディー」「悲しくなる」などと言われていたイメージが強いが、当時は「さわやかなメロディー」(富山新聞より)と正反対の評価をしているのが面白い。ベルよりはマシという考えだったのだろうか。

 当初は童謡「チューリップ」(富山県はチューリップの生産地)や「おわら節」(「おわら風の盆」で知られる民謡)も候補にあった。ピアノ演奏のバージョンが一般に知られていたが、初期にはマリンバ演奏のバージョンもあったことが判明。月ごとに音色を変えて乗客の反応を見ていた。

 CTC(列車集中制御装置)導入のため2000年1月22日をもって使用終了。JR西日本はメロディーを残すことも検討していたが、多額の費用がかかるために断念したという。
(参考:1989年10月12日富山新聞、1997年11月2日朝日新聞富山版、2000年2月6日同版)

○金沢駅 琴のメロディー
 1990年6月5日の駅高架化開業にあわせ、従来のベルに代わって採用された。地元紙で大きく取り上げられている。

 北國新聞によると、演奏しているのは金沢市在住の筝曲家・大谷親千鶴(ちかちづ)氏。現在は地元で生田流研箏会千鶴の会を主宰する人物。「ヤマハが制作した」という噂もあったが、これはヤマハの発車メロディーを採用した新宿駅や渋谷駅などと使用開始が同時期だったことから混同されたものと思われる。当サイトでも以前はそのように表記していた。改めてお詫びを申し上げたい。

 メロディーの採用は、金沢らしさの演出が目的。「城下町の雰囲気を醸し出させるとともに、発車ベルらしくリズミカルで鉄道のイメージに沿った曲調」(同紙より)でと大谷氏に依頼したといい、ホーム別に3曲が選ばれた。当初は乗客の反応次第で1曲に絞ることも検討されていたという(現在は2曲が使われている)。
(参考:1990年5月29日北國新聞夕刊、同31日読売新聞石川金沢版)

○福井駅 ハープのメロディー
 福井県内に日本唯一のハープ製造会社があることにちなんで使われていたハープの音色の入線・発車メロディー。採用は1990年12月25日。北陸では富山、金沢に次いで3駅目のメロディー化で、前例の好評を受け採用を決めた。

 制作と演奏は福井市育ちのハープ奏者・雨田光示氏。日本におけるアイリッシュハープ(小型ハープ)の普及に貢献し多くのハープ奏者を育てた、その方面では有名な人物のようだが、残念ながら2009年に亡くなっている。晩年は1パターンのみ使われていたが、当初は上下線別に2パターンあり、上りが軽快なアップテンポ(よく知られているバージョンのことか)、下りがスローテンポだったという。ちなみに曲名はそのまま「発車ベル」とのこと。

 当時の映像を探してみたが、下りバージョンの詳細は判明しなかった。1992年1月撮影とされるもの同年7月撮影とされるものにそれぞれ下り列車(1番のりば)入線のシーンがあるが、どちらも晩年使われていたバージョンが流れている。上り列車(4番のりば)も同様。ごく短期間でメロディーが統一された模様だ。
(参考:1990年12月24日福井新聞、同25日日刊福井)

○鯖江駅 マリンバのメロディー
 福井県鯖江市が当時行っていた「マリンバのまちづくり」の取り組みの一環として、マリンバで演奏した楽曲が入線メロディーに使われている。

 曲は市民からの応募で選び、鯖江市在住のマリンバ奏者・平岡愛子氏が演奏した。当初の市の発表では、選曲されたのは「カノン」「となりのトトロ」「さんぽ」「この道」「ティコ・ティコ」「ミッキーマウス・マーチ」「線路は続くよどこまでも」「アメリカン・パトロール」の8曲。しかし月ごとに曲を変える方針となった関係なのか、最終的に「カノン」「この道」は除外され、6か月周期で曲が変えられることになる。

 使用開始は2000年12月15日で、1番のりばのみ。12月の曲「ミッキーマウス・マーチ」から始まり月ごとに曲が変えられたが、2001年5月の「ティコ・ティコ」(ラテン音楽のスタンダード・ナンバー)は数日で翌月の曲「ミッキーマウス・マーチ」に差し替えられた。当時の聞き込みによると曲がうるさいと苦情が入ったためらしいが、続いていればノリノリの入線メロディーで有名になっていただろう。このころには2・3番のりばでも月ごとに変更されるようになり、以降は5曲だけでの運用に。そのうち1番のりばが「ミッキーマウス・マーチ」、2・3番のりばが「となりのトトロ」に固定された。

 余談だがYouTubeにて、駅で使われていた「アメリカン・パトロール」と全く同じ楽譜で演奏されているものを発見した。映像では2人で演奏しているが、駅バージョンは画面左側のメインパートのみのソロ演奏だった。
(参考:2000年11月15日中日新聞福井嶺北版、鯖江市「広報さばえ」2000年12月号)


●中国
○岡山駅・倉敷駅・宇野駅「いい日旅立ち」「瀬戸の花嫁」など
 曲のレパートリーが多いJR西日本岡山支社の接近メロディー。一番最初に採用したのは宇野駅の「瀬戸の花嫁」「いい日旅立ち」で1994年から。岡山駅が最初と思われがちだが違う。宇野駅では同年12月に宇高連絡船廃止に伴う駅移設が行われている。

 次が倉敷駅の「いい日旅立ち」で1997年3月から。倉敷駅のこの曲といえば、富山駅の「こきりこ節」といい勝負の物悲しさで知られていたが、ここでも「旅情をかきたてる」「気分が和む」(山陽新聞より)という利用者のインタビューを載せて肯定的にとらえている。この曲を選んだのは「『駅は旅のはじまり』がモットー」(同紙より)という同駅の意向から。この年の倉敷チボリ公園開園(現在閉園)に伴う駅舎整備にあわせて使用開始した。現在は他の駅と共通のバージョンに変わっている。

 そして、その次が1998年3月1日の岡山駅。宇野駅や倉敷駅のメロディーが好評だったことから採用に踏み切った。ここで、乗降客が多い駅から順次メロディーに変更する方針を明かしている。岡山駅は複数の路線が乗り入れるため、ホーム毎に曲を変えることで乗り間違いの防止や、目の不自由な人にも区別できるようにしたという.。
 1998年10月20日には備前西市駅で「瀬戸の花嫁」を使用開始。無人駅のため放送の類が無かったことから採用したという。

 こう見るとJR西日本にとっても、安全対策やサービス向上につながる大きな施策に思える。しかし同社岡山支社の社内報「Active」を見てみると、接近メロディーについて直接言及した記事はなく、翌年の1999年1月号の「1998年 10大ニュースランキング」の端にランク外として「岡山駅で接近メロディー使用開始」とあるだけ。メロディーの採用が相次いだ1996年から1999年の間の全号を見ても、他の駅を含めた接近メロディーに関する記事はなかった。
(参考:1998年2月27日山陽新聞、同年7月16日同紙夕刊、同年10月20日同紙、JR西日本岡山支社「Active」各号)

○笠岡駅「がんばれカブトガニ」「大島の傘踊り」
 マニアには言わずと知れたこの駅のメロディー。朝日新聞岡山版によると使用開始は1999年6月23日。「地域密着型の駅を目指す」という当時の駅長の方針のもと、笠岡のイメージアップを図るために採用したものだった。「大島の傘踊り」は大正琴で演奏したものだという。

 2015年10月8日の山陽新聞夕刊では、「がんばれカブトガニ」の接近メロディーがインターネット上で人気を集めている、という内容の記事が載った。ちなみに「(動画の)再生数が3年間で2万5千回を超えたものや……」(同紙より)という紹介があるのだが、もしかして当サイトの動画のこと?(実際に投稿は3年前で、履歴を調べてみたところ9月時点で2万6千回になっていた)。もっと再生回数が多い動画はあるのだが……あざぁす(笑)

 さらに同年12月24日には読売新聞岡山版でも同じような内容の記事が掲載された。「採用の経緯はよくわからないが……」「社内ではそれほど知名度がなかったので……」(同紙より)とある。JRの中ではあまり有名な話ではないらしい。

 当初は1番のりばが「大島の傘踊り」、2・3番のりばが「かんばれカブトガニ」だったが、2012年2月中旬頃に一度、一般メロディーに変わり、4月下旬頃から全のりばが「がんばれカブトガニ」となった。
(参考:1999年6月26日朝日新聞岡山版、2015年10月8日山陽新聞夕刊、同年12月24日読売新聞岡山版、ヤマハミュージックメディア「月刊Piano」2009年4月号)

○福山駅「百万本のバラ」など
 JR西日本岡山支社管内では唯一、季節によってメロディーが変わる駅。話題性はありそうだが、これに直接触れた記事は発見できなかった。

 ただ1998年2月27日山陽新聞の岡山駅の記事で、これまでメロディーを採用したのは宇野駅と倉敷駅だけとなっているが、同年7月16日同紙夕刊の倉敷駅に関する記事では、他にメロディーを使用しているのが岡山、宇野、「福山」の3駅となっている。同年10月20日同紙の備前西市駅に関する記事でも、先例が「岡山、倉敷など4つの有人駅(残りの2つは宇野と福山)」となっているので、使用開始時期は1998年3月から7月の間とみている。1998年3月1日に岡山駅でメロディーを採用した際、乗降客の多い駅から変えていくとしているので、JR西日本岡山支社管内において岡山に次いで乗車人員が多い当駅がすぐに選ばれたと考えられる。
(参考:1998年2月27日山陽新聞、同年7月16日同紙夕刊、同年10月20日同紙)

○広島エリア 入線メロディー
 「JR広島支社入線メロディーの研究」を参照(2020年5月24日更新)

●四国
○予讃線主要駅「瀬戸の花嫁」
 1998年10月3日のダイヤ改正から使用開始。「イメージアップを図り、利用者増を狙っている」(朝日新聞香川版より)という。同紙では岡山駅でもこの曲を使い始めたことに触れ、JR西日本をサービス向上作戦の「強敵」扱いしているが、音源は同社のものを流用している。対抗心を燃やしているのなら自前で用意すると思うのだが……。
(参考:1998年9月15日朝日新聞香川版)


●九州
○人吉駅「故郷の廃家」など
 この駅についてはほとんどネット上で話題になっていなかったが、かつて急行列車の到着時にメロディーが流れていた。人吉市が観光振興を目的に放送設備を設置した。当初流れていたのは、地元出身の詩人・犬童球溪が作詞した唱歌「故郷の廃家」だった。

 しかし1999年5月19日の読売新聞熊本版では、同13日にスピーカーが盗難に遭ったと伝えている。結局行方は分からないままだったようで、その後新品を取り付けたという。

 2000年4月頃には曲を変更し、犬童作詞の唱歌「旅愁」や、歌手・さとう宗幸が作曲した「球磨川」、熊本県民謡「五木の子守唄」「球磨の六調子」の4曲となっていた。
(参考:1992年7月21日読売新聞東京版夕刊、1999年5月19日同紙熊本版、2000年4月13日同版) 

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