ご当地駅メロディー資料館-駅メロの新事実?
忘れられた駅メロの歴史を新聞から探し出す

 JR新宿駅と渋谷駅に発車メロディーが採用されてから25年以上が経ち、全国に駅メロが広まった。それからインターネットが発展し、全国の駅メロを楽しむ人々も増え、情報が素早く共有できるようになった。しかし、時が経つにつれ事実が正しく伝わっていなかったり、噂があたかも事実のように書かれていたり、情報が失われたりもしている。

 そこで今回、当サイトでは、ご当地駅メロをはじめとした駅メロの忘れられた歴史や情報を探し出す調査を実施。調査に当たっては、信憑性が高いとともにその時代の事実を伝える情報収集手段の基本「新聞記事」を使用した。
 その結果、今までインターネット上で語られてこなかった事実や新情報などを発見。中にはこれまでの駅メロの歴史の常識を覆す内容もあった。更にこの過程で、ご当地駅メロ以外の一般メロディーについても新たな情報を得ることができた。以下にその調査結果を紹介する(特に注目したい情報、新たな情報については太字で記した)。

 なお当記事の掲載にあたり、「発車ベル使用状況」(http://hassya.net/)のしみず様に内容への助言をご協力いただいた。この場をお借りして御礼申し上げたい。
※以下の内容は、「ご当地駅メロディー資料館」の各駅紹介ページにも順次反映していく。
※当記事の内容は、2016年3月時点のもの(2016年5月12日追記)。


○調査対象のメロディー…主に使用開始時期が古いもしくは不明なもの、情報が著しく少ないもの、曲名や使用開始時期等の情報元が不明なもの
○調査手段…全国の新聞社の新聞記事(新聞社の記事データベースに収録されたものを含む)
○調査訪問先…国立国会図書館、東京都立中央図書館、千葉市中央図書館、金沢市立玉川図書館、福井市立中央図書館、神戸市中央図書館、岡山県立図書館、広島県立図書館


地方別にまとめています。以下をクリックするとジャンプします。

●北海道
○函館駅 発車メロディー
 JR北海道唯一の発車メロディーでマニアからの人気も高いこの曲。しかし、これまで「旅立ちの鐘」という曲名だけがよく知られていただけで、「青函連絡船をイメージした」「教会の鐘がモデルになっている」などという噂も流れ真相が分かっていなかった。

 使用開始は1990年12月1日。前日をもってJR北海道が全駅の発車ベルを廃止したため、その代わりとして駅独自に採用したようだ。北海道新聞函館版によると、制作したのは当時の函館駅員。「出来上がった曲は『旅立ちの鐘』。(中略)教会の鐘や船の汽笛、海に面した函館の情景をシンセサイザーで表現……」(同紙より)とある。
 なお、当初は青函連絡船の出港合図に使われていたドラの音を使用することも考えていたらしい。
(参考:1990年11月29日北海道新聞函館版)


○旭川駅 発車メロディー
 早い時期に使用されなくなったためにこれまでほとんど情報が上がっていなかったが、多少の事の成り行きが判明した。
 北海道新聞によると、使用開始は1990年9月1日のダイヤ改正からで、函館駅よりも3ヶ月早かった。メロディーは「ピアノの音」。同年12月のJR北海道内全駅の発車ベル廃止に先駆けて試験的に変更されたそうだ。発車ベルの廃止といえば1988年の千葉駅が話題に上るが、JR北海道ではこれを全社的に取り組んだ。他の駅についても「主要駅については地域の特色を生かしたメロディーを流すことも検討している」(同紙より)とされているが、結局メロディーを採用したのは旭川と函館の2駅だけだった。
 音声については、Wikipediaに投稿されている走行音を録音したものにメロディーが混じっているのが確認できる。更にYouTubeにて、メロディーが使用されている当時の貴重な映像を発見した(https://youtu.be/t-3ZNnBrkqI)。撮影は1990年9月で、まさに変更直後のものだ。
(参考:1990年11月3日北海道新聞)



●東北
○仙台駅 発車メロディー
 その壮大な曲調で、函館駅と同様マニアからの人気が高いのが仙台駅の発車メロディー。駅メロ創成期から使われており、これまで使用開始日は新幹線ホームが1989年10月8日から、在来線ホームが同年11月22日からというのが「定説」であった。しかし新聞を調査した結果、これとは異なる事実が見えてきた。

 実際の時系列はこうだ。初めは1988年11月22日、仙石線ホームで使用開始。「1989年」というのが誤りだった。これは同線の全通60周年にあわせたもので、これまで「JR初の発車メロディー」とされてきた新宿駅や渋谷駅よりも先に使用していたことが判明。そしてこのメロディーが好評を得たため、1989年3月11日に在来線全ホームで採用。更に同年10月8日に新幹線ホームでも採用した。いずれの日も地元出身の宝塚スターなどのゲストを呼んで盛大に記念式典が開かれている。

 しかし、仙石線ホームが変更された際の当時の新聞で「全国のJRグループで初めて」(河北新報より)と報じられながらも、地方の駅ということもあったためか、4ヶ月後には新宿・渋谷両駅に発車メロディーが登場しスポットライトを奪われてしまった形だ。同年代に登場する富山駅や金沢駅などのメロディーについての新聞記事を見ても、先例として挙げられるのは新宿・渋谷両駅ばかりで、仙台駅を挙げる記事はほとんどない。また、制作者である榊原光裕氏の公式サイトでも、作曲年を1989年と表記しているのも誤解を生んだ要因かもしれない。
 まことに不憫だが、「JR初の発車メロディーは仙台駅だった」というのは紛れもない事実である。

 続いてそれぞれのメロディーについて。在来線は「『青葉城恋唄』をベースにしたもの」(同紙より)、新幹線は「杜の都にふさわしいようにと『緑の風、広瀬川のせせらぎ、ケヤキの緑』をテーマに……」(朝日新聞宮城版より)となっている。在来線のメロディーについては、1988年11月8日の採用決定の記事では「静かな導入で始まり、カネの連打で終わる……」とある。また1989年3月11日の全ホーム変更の際の記事では「仙石線ホームのメロディーをさらに編曲し『初めはゆったり、最後はすっきり』となった音楽が流れ……」(河北新報より)とある。このことから、仙石線ホームで当初使用されていたものはあおば通駅で現在採用されているバージョンで、仙台駅地上ホームで現在まで使われてきたバージョンはその編曲版である、ということが考えられる。

 曲名については、在来線が「青葉城恋唄」、新幹線が「杜の都」などと説明されることが多いが、いずれもそれを「ベース」もしくは「テーマ」としたものであり、誤りである。特に曲名は決められていないようだが、著作権管理上つけられた曲名はそれぞれ「JR東日本仙台駅発車音楽(在来線ホーム)」「JR東日本仙台駅発車音楽(新幹線ホーム)」である(日本音楽著作権協会(JASRAC)作品データベースから)。
(参考:1988年11月8日河北新報、同22日同紙夕刊、1989年3月11日同紙夕刊、同年10月9日同紙、同日朝日新聞宮城版)



●関東
○木更津駅「証城寺の狸囃子」
 千葉日報の地域面に、ダイヤ改正の記事とあわせて小さく載っているだけであった。同紙に「曲は市職員が編曲したものを使用する」とある。
(参考:2004年10月14日千葉日報)


○館山駅「浜千鳥」
 一般に「ご当地駅メロディー」には分類されないが、作詞者である鹿島鳴秋(1891-1954)がかつて近隣の和田町(現・南房総市)に住んでいたことから、これとの関連性を指摘する意見もあった。
 千葉日報によると、使用開始は1991年3月16日のダイヤ改正から。「内房線和田浦駅にほど近い松林にある、鹿島鳴秋の『浜千鳥歌碑』にちなんで館山駅員が選んだ」(同紙より)とある。やはり和田町とのつながりが意識されていた。

 同日には館山駅のほか、安房鴨川・佐原・銚子の各駅もメロディーに変更されたという。この頃JR東日本千葉支社管内で採用されていた発車メロディーはいわゆる「永楽系」と「旭電通(東洋メディアリンクス)系」のものであり、館山駅の「浜千鳥」も永楽系の汎用物で他駅でも使用されている。これらのことから、初めからこの曲を採用するつもりだったわけではなく、たまたま採用候補のレパートリーの中にこの曲があったので選曲した、と考えるのが自然である。館山駅は館山市、和田浦駅は和田町(現・南房総市)と地域が異なることもあり、当サイトでも掲載していない。
 同管内では唯一残っている「永楽系」のメロディーであり、現在は全社でも少数派となって新規の採用もほとんど無い。にもかかわらず放送設備改修の度にわざわざ音源を取り寄せ、今でもこの曲にこだわっているのには感心する。
(参考:1991年3月20日朝日新聞千葉版)

○港南台駅 鳥の鳴き声の接近チャイム
 1998年7月4日のATOS(東京圏輸送管理システム)導入まで使用されていた特殊な接近音。地元の港南台地区が「野鳥のさえずる街」をキャッチコピーにしていたことから、カッコウとホトトギスの鳴き声が接近チャイムに採用されていた。
 これに直接触れた新聞記事は発見できていないが、1994年4月9日の産経新聞の港南台地区のまちづくりを取り上げた記事の中で、「『駅のホームに小鳥のさえずりを流す企画』も動き出している」とあり、この「企画」が接近チャイムのことを指すのならばこのころに採用されたものと考えられる。
(参考:1994年4月9日産経新聞)


○東京メトロ南北線 接近・発車メロディー
 1991年の開業から使用されていた接近・発車メロディー(サイン音)。環境音楽作曲家・吉村弘氏が制作したもので、メロディーの採用は当時の営団地下鉄では初の試みであった。
 曲については王子駅近くを流れる音無川をイメージしていることはよく知られていたが、もう少し詳しく調べてみた。1994年1月12日の読売新聞夕刊によると、吉村氏が実際に王子周辺を歩いて構想を練ったという。そこで音無川が流れているのを見つけ、メロディーのイメージを「水」にしたとのこと。接近は「水滴や波紋」、発車は「水の動的な流れ」をモチーフにしたそうだ。言われてみればそのようにも感じる。同年10月3日の朝日新聞夕刊では「王子らしさを取り込もう、と近くを流れる音無川や滝をイメージして作りました」と載っている。
 当時はまだ駅メロディーが出始めてきたころ。営団も構内放送がうるさいという意見からメロディー採用に至ったようだが、公共施設で流す音楽ということから「音楽的すぎるのはだめなので、さりげなくシンプルに。でも小さすぎると騒音にかき消されてしまう、かといってうるさくても迷惑……」と、随分苦労した末の作品だったようだ。
(参考:1994年1月12日読売新聞夕刊、同年10月3日朝日新聞夕刊)


●関西
○JR神戸線 接近・入線メロディー

 1997年3月8日のダイヤ改正から使用。現在は他の路線でも使用されている。メロディーについては「砂浜や輝く波がシンセサイザーで表現されており……」(神戸新聞より)、「『穏やかな瀬戸内海と人に優しい街・神戸』をイメージしたとのこと」(読売新聞大阪夕刊より)とある。採用駅は「神戸線(大阪-姫路間)の西明石駅を除く三十二駅」(神戸新聞より)とあるのだが、当時未開業の駅を除いても数が合わないのが謎(実際には西明石のほか、大阪・宝殿・御着も変更されなかった)。

 なお最近は入線メロディーの曲名を「さざなみ」と説明されるようになったが、これはさくら夙川駅のメロディーが変更された際の記事(2010年4月14日神戸新聞)が初出。但しその曲名の出所が判明しないため、当サイトでは記載していない。
(参考:1997年3月7日神戸新聞、同8日読売新聞大阪夕刊)


○大阪環状線 接近・入線・発車メロディー
 1999年5月10日のダイヤ改正にあわせて採用された。現在は大阪環状線のほか、JR東西線・宝塚線などでも使用。当時の新聞での掲載は発見できなかったが、2002年5月19日読売新聞大阪版「ひと駅ひと物語」の寺田町駅の回で少し触れられていた。「コンセプトは『さわやかでシンプル』『大阪の八百八橋と川の流れ』。JR西日本が東京の音楽プロダクションに制作を依頼した」(同紙より)とある。
(参考:2002年5月19日読売新聞大阪版「ひと駅ひと物語」)


○京阪電鉄 発車メロディー
 現行のメロディーより前、「京の五条の橋の上……」の歌詞にちなんで採用された童謡「牛若丸」の発車メロディー。1995年12月使用開始であるが、当時の新聞での掲載は発見できなかった。京阪特急初のダブルデッカー(2階建て)車両のデビューと同時であったため、そちらに注目が集まっていたようだ。

 なお「牛若丸」以前に使われていた特急の発車メロディーについて、現在、曲名を「フィガロの結婚」(モーツァルト作曲)と説明されることが多いが、実際には誤りではないかと考えている。2010年8月14日朝日新聞大阪版夕刊「響紀行」によると、制作したのは発車ベルの設備担当だった木村陸朗氏。「テンポよく音階が上がり、空に舞い上がるような感じは、海軍兵学校での経験がもとになった」(同紙より)とあり、起床ラッパや規律ある生活がメロディーのもとになっているとされている。
 そもそも発車メロディーと「フィガロの結婚」の似ている部分とされる「もう飛ぶまいぞ、この蝶々」の一節を比べてみても、発車メロディーは付点16分音符、32分音符、8分音符のリズムを4回繰り返すフレーズで、更にこれをもう一度繰り返す。一方「フィガロの結婚」は、裏拍から入って付点16分音符、32分音符、8分音符を3回繰り返すフレーズで、次のフレーズは発車メロディーと違って下降の音階となっており、リズム自体が異なる。

 「フィガロの結婚」と呼ばれるようになった経緯について、これは仮定であるが、誰かが「フィガロの結婚に似ている」と言い始めたのが広がって、いつの間にか「発車メロディー=フィガロの結婚」と定着してしまった。これを見た京阪までもが公式商品などで「フィガロの結婚」と表記しはじめた(「発車メロディでお目覚め♪走る!アラームクロック」や「京阪ミュージアムトレイン」の発車メロディーコーナーなど)ことで、さらに曲名の浸透に拍車をかけたのではないだろうか。

 しかし現在、京阪が公式に「フィガロの結婚」と言っている以上、「これは『フィガロの結婚』だ」と言わざるを得ないのも確かではある。
(参考:2010年8月14日朝日新聞大阪版夕刊「響紀行」)



●北陸
○富山駅「こきりこ節」
 1989年10月14日に採用されたJR西日本初の入線・発車メロディー。富山県民謡「こきりこ節」をアレンジしたもので、曲調のせいで「暗い発車メロディー」「悲しくなる」などと言われていたイメージが強いが、当時は「さわやかなメロディー」(富山新聞より)と正反対の評価をしているのが面白い。ベルよりはマシという考えだったのだろうか。
 当初は童謡「チューリップ」(富山県はチューリップの生産地)や民謡「おわら節」(「おわら風の盆」で知られる民謡)も候補にあった。ピアノ演奏のバージョンが一般に知られていたが、初期にはマリンバ演奏のバージョンもあったことが判明。月ごとに音色を変えて乗客の反応を見ていた。
 CTC(列車集中制御装置)導入のため2000年1月22日をもって使用終了。JR西日本はメロディーを残すことも検討していたが、多額の費用がかかるために断念したという。
(参考:1989年10月12日富山新聞、1997年11月2日朝日新聞富山版、2000年2月6日同版)

○金沢駅 琴のメロディー
 1990年6月5日の駅高架化開業にあわせ、従来のベルに代わって採用された。地元紙で大きく取り上げられている。
 北國新聞によると、演奏しているのは金沢市在住の筝曲家・大谷親千鶴(ちかちづ)氏。現在は地元で生田流研箏会千鶴の会を主宰する人物。「ヤマハが制作した」という噂もあったが、これはヤマハの発車メロディーを採用した新宿駅や渋谷駅などと使用開始が同時期だったことから混同されたものと思われる。当サイトでも以前はそのように表記していた。改めてお詫びを申し上げたい。
 メロディーの採用は、金沢らしさの演出が目的。「城下町の雰囲気を醸し出させるとともに、発車ベルらしくリズミカルで鉄道のイメージに沿った曲調」(同紙より)でと大谷氏に依頼したといい、ホーム別に3曲が選ばれた。当初は乗客の反応次第で1曲に絞ることも検討されていたという(現在は2曲が使われている)。
(参考:1990年5月29日北國新聞夕刊、同31日読売新聞石川金沢版)


○福井駅 ハープのメロディー
 福井県内に日本唯一のハープ製造会社があることにちなんで使われていたハープの音色の入線・発車メロディー。採用は1990年12月25日。北陸では富山、金沢に次いで3駅目のメロディー化で、前例の好評を受け採用を決めた。
 制作と演奏は福井市育ちのハープ奏者・雨田光示氏。日本におけるアイリッシュハープ(小型ハープ)の普及に貢献し多くのハープ奏者を育てた、その方面では有名な人物のようだが、残念ながら2009年に亡くなっている。晩年は1パターンのみ使われていたが、当初は上下線別に2パターンあり、上りが軽快なアップテンポ(よく知られているバージョンのことか)、下りがスローテンポだったという。ちなみに曲名はそのまま「発車ベル」とのこと。
 当時の映像を探してみたが、下りバージョンの詳細は判明しなかった。1992年1月撮影とされるもの(https://youtu.be/GV6pNRAr1lg?t=4m36s)と同年7月撮影とされるもの(https://youtu.be/jevRQwY04Uw)にそれぞれ下り列車(1番のりば)入線のシーンがあるが、どちらも晩年使われていたバージョンが流れている。上り列車(4番のりば)も同様(https://youtu.be/JtCJS9FOb2Y?t=1m11s)。ごく短期間でメロディーが統一された模様だ。
(参考:1990年12月24日福井新聞、同25日日刊福井)


○鯖江駅 マリンバのメロディー
 福井県鯖江市が当時行っていた「マリンバのまちづくり」の取り組みの一環として、マリンバで演奏した楽曲が入線メロディーに使われている。
 使用開始は2000年12月15日。曲は市民からの応募で選び、鯖江市在住のマリンバ奏者・平岡愛子氏が演奏した。当初は「カノン」「となりのトトロ」「さんぽ」「この道」「ティコ・ティコ」「ミッキーマウス・マーチ」「線路は続くよどこまでも」「アメリカン・パトロール」計8曲の使用を発表している。
 はじめは月ごとに曲を変えていたようだが、そのうち「となり-」「ミッキーマウス-」の固定になった。「ティコ・ティコ」は不評のため早いうちに使われなくなったという情報もあるが、続いていればノリノリの入線メロディーで有名になっていただろう。「カノン」「この道」にいたっては使っていたという情報すらない。

 余談だがYouTubeにて、駅で使われていた「アメリカン・パトロール」と全く同じ楽譜で演奏されているものを発見した(https://youtu.be/UrNtyCHkk9U)。映像では2人で演奏しているが、駅バージョンは画面左側のメインパートのみのソロ演奏だった。
(参考:2000年11月15日中日新聞福井嶺北版、鯖江市「広報さばえ」2000年12月号)



●中国
○岡山駅・倉敷駅・宇野駅「いい日旅立ち」「瀬戸の花嫁」など
 曲のレパートリーが多いJR西日本岡山支社の接近メロディー。一番最初に採用したのは宇野駅の「瀬戸の花嫁」「いい日旅立ち」で1994年から。岡山駅が最初と思われがちだが違う。宇野駅では同年12月に宇高連絡船廃止に伴う駅移設が行われている。

 次が倉敷駅の「いい日旅立ち」で1997年3月から。倉敷駅のこの曲といえば、富山駅の「こきりこ節」といい勝負の悲壮バージョンで知られていたが、ここでも「旅情をかきたてる」「気分が和む」(山陽新聞より)という利用者のインタビューを載せて肯定的にとらえている。この曲を選んだのは「『駅は旅のはじまり』がモットー」(同紙より)という同駅の意向から。この年の倉敷チボリ公園開園(現在閉園)に伴う駅舎整備にあわせて使用開始した。現在は他の駅と共通のバージョンに変わっている。

 そして、その次が1998年3月1日の岡山駅。宇野駅や倉敷駅のメロディーが好評だったことから採用に踏み切った。ここで、乗降客が多い駅から順次メロディーに変更する方針を明かしている。岡山駅は複数の路線が乗り入れるため、ホーム毎に曲を変えることで乗り間違いの防止や、目の不自由な人にも区別できるようにしたという.。
 1998年10月20日には備前西市駅で「瀬戸の花嫁」を使用開始。無人駅のため放送の類が無かったことから採用したという。

 こう見るとJR西日本にとっても、安全対策やサービス向上につながる大きな施策に思える。しかし同社岡山支社の社内報「Active」を見てみると、接近メロディーについて直接言及した記事はなく、翌年の1999年1月号の「1998年 10大ニュースランキング」の端にランク外として「岡山駅で接近メロディー使用開始」とあるだけ。メロディーの採用が相次いだ1996年から1999年の間の全号を見ても、他の駅を含めた接近メロディーに関する記事はなかった。
(参考:1998年2月27日山陽新聞、同年7月16日同紙夕刊、同年10月20日同紙、JR西日本岡山支社「Active」各号)

○笠岡駅「がんばれカブトガニ」「大島の傘踊り」
 マニアには言わずと知れたこの駅のメロディーだが、1999年5月の使用開始当時の新聞掲載は発見できなかった。調査の結果、最初に取り上げられたのは2015年とごく最近である(※)。
 それが同年10月8日の山陽新聞夕刊。「がんばれカブトガニ」の接近メロディーがインターネット上で人気を集めている、という内容。ちなみに「(動画の)再生数が3年間で2万5千回を超えたものや……」(同紙より)という紹介があるのだが、もしかして当サイトの動画のこと?(実際に投稿は3年前で、履歴を調べてみたところ9月時点で2万6千回になっていた)。もっと再生回数が多い動画はあるのだが……あざぁす(笑)
 さらに同年12月24日には読売新聞岡山版でも同じような内容の記事が掲載された。「採用の経緯はよくわからないが……」「社内ではそれほど知名度がなかったので……」(同紙より)とある。意外にもJRの中ではあまり有名な話ではないらしい。それでは新聞はもちろん社内報(岡山駅の項を参照)にも出ないわけだ。

 使用開始時期は、個人サイト「Sound Of Station」(http://melody.pos.to/)、「かっきー'Sコーナー」(http://homepage3.nifty.com/kakkie/)の過去の更新履歴から断定している。なお「かっきー'Sコーナー」の当該ページは現在閲覧できない。
 当初は1番のりばが「大島の傘踊り」、2・3番のりばが「かんばれ-」だったが、2012年2月中旬頃に一度、一般メロディーに変わり、4月下旬頃から全のりばが「がんばれ-」となった。

※新聞に限らなければ音楽関連雑誌「月刊Piano」2009年4月号でも取り上げられている。全国のご当地駅メロを特集した記事の中でピックアップして紹介されているのだが、当時すでに知られていた情報のみで特に目新しさはない。
(参考:2015年10月8日山陽新聞夕刊、同年12月24日読売新聞岡山版、ヤマハミュージックメディア「月刊Piano」2009年4月号)


○福山駅「百万本のバラ」など
 JR西日本岡山支社管内では唯一、季節によってメロディーが変わる駅。話題性はありそうだが、これに直接触れた記事は発見できなかった。
 ただ1998年2月27日山陽新聞の岡山駅の記事で、これまでメロディーを採用したのは宇野駅と倉敷駅だけとなっているが、同年7月16日同紙夕刊の倉敷駅の記事では、他にメロディーを使用しているのが岡山、宇野、「福山」の3駅となっている。同年10月20日同紙の備前西市駅の記事でも、先例が「岡山、倉敷など4つの有人駅(残りの2つは宇野と福山)」となっているので、使用開始時期は1998年3月から7月の間とみている。1998年3月1日に岡山駅でメロディーを採用した際、乗降客の多い駅から変えていくとしているので、JR西日本岡山支社管内において岡山に次いで乗車人員が多い当駅がすぐに選ばれたと考えられる。2000年1月時点で、季節別の全曲が使用されていた。

(参考:1998年2月27日山陽新聞、同年7月16日同紙夕刊、同年10月20日同紙)

○広島エリア 入線メロディー
 JR西日本広島支社管内では、山陽本線を中心に多くの駅でオリジナルの入線メロディーが使用されている。以前はJR東日本の発車メロディーの曲が使われていたこともあったが、それぞれの経緯についてはあまり話題になっていなかった。

 管内で一番最初にメロディーを採用したのは1993年8月6日の横川駅(山陽本線ホーム)。山手線で使われている発車メロディーの放送システムを参考にし、試験的に始めたという。「春」「せせらぎ」などの曲が使われていた理由はこれだったのだろうか。具体的に曲名等は出ていないが「上り線はゆったり、下り線は軽快に、と上下線で別の曲をセット」(中国新聞夕刊より)したという(表現からして上りのゆったり調が「春」、下りの軽快調が「せせらぎ」と思われるが、実際には逆だった)。

 そして横川駅での試験結果を踏まえ、1994年3月15日のダイヤ改正を機に西条〜岩国間の各駅で順次採用。同26日までに広島以外の駅が変更され、広島駅は29日に変更された。新聞ではややこしい書き方をしているのだが、読み解く限りこの時点で@西条〜広島間とA広島〜岩国間で上下2曲ずつ、B海田市駅の呉線ホームとC横川駅の可部線ホームで1曲ずつの計6曲が使われ、上りはゆったり、下りは軽快な曲調のものを採用したという。@がいわゆる「広島2番」「広島4番」、Aが「春」「せせらぎ」、Bがいわゆる「広島1番」または「広島3番」、Cが「雲を友として」のことと考えられる。広島駅では@とAの4曲が使われていた。
 メロディーは広島市内の音大生が制作(ここではいわゆる「広島1〜4番」のことを指していると思われる)。「心地よく、アップテンポで楽しいものに」(同紙より)と依頼したという。まさに広島3・8番のりば(笑)。

 なお、「1番」については、ソロユニット・姫神の曲「砂の鏡」にメロディーが非常に似ていることが知られている。同じようにオカリナ奏者・宗次郎の「雲を友として」「清流」などが使われていたことから、当時はこのようなヒーリングミュージックをアレンジするのが駅メロ業界で流行っていたのかとも思ったのだが、「1番」も音大生がつくったというのならパクリという可能性も……これ以上追及するのはやめておく(「3番」以外はバージョン違いも使われており、アレンジに共通性がある)。

 同支社は「利用客の反応を見ながら今後、発車時のベルと笛の合図の電子音化も考えたい」(同紙より)としていたが、結局現在まで実現していない。ここは発車ベルが主流だったJR東日本と、接近ベルが主流だったJR西日本の方向性の違いがよく出た部分だろう。
(参考:1993年9月14日中国新聞夕刊、1994年3月26日同紙夕刊)



●四国
○予讃線主要駅「瀬戸の花嫁」
 1998年10月3日のダイヤ改正から使用開始。「イメージアップを図り、利用者増を狙っている」(朝日新聞香川版より)という。同紙では岡山駅でもこの曲を使い始めたことに触れ、JR西日本をサービス向上作戦の「強敵」扱いしているが、メロディー音源は同社で使用しているバージョンを流用したもの。対抗心を燃やしているのなら自前で用意すると思うのだが……。
(参考:1998年9月15日朝日新聞香川版)



●九州
○人吉駅「故郷の廃家」など
 この駅についてはほとんどネット上で話題になっていなかったが、かつて急行列車の到着時にメロディーが流れていた。人吉市が観光振興を目的に放送設備を設置した。当初流れていたのは、地元出身の詩人・犬童球溪が作詞した唱歌「故郷の廃家」だった。
 しかし1999年5月19日の読売新聞熊本版では、同13日にスピーカーが盗難に遭ったと伝えている。結局行方は分からないままだったようで、その後新品を取り付けたという。
 2000年4月頃には曲を変更し、犬童作詞の唱歌「旅愁」や、歌手・さとう宗幸が作曲した「球磨川」、熊本県民謡「五木の子守唄」「球磨の六調子」の4曲となっていた。
(参考:1992年7月21日読売新聞東京版夕刊、1999年5月19日同紙熊本版、2000年4月13日同版)

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