外房線旧線跡探訪

土気〜大網間
 この区間は、外房線旧線跡の中でも最も知られている区間です。土気〜大網間は25/1000の急勾配(1000m進んで25m登る)という県内最大の難所とも言われる区間で、その間には旧「土気トンネル」がありました。トンネルは1954年、老朽化を受け一部を除いて上部を開削し深い切通しとなりました。
 電化・複線化にあわせこの区間は以前よりも緩やかな勾配・カーブとトンネルの新線に切り替えられ、電化完成に先立ち1972年5月に現在の線路になり、同時に大網駅が現位置に移転、土気〜永田間が複線化されました。


赤線が旧線ルート。右下の+−で地図の拡大・縮小ができます。
ポイントと、それをクリックすると表示される番号は下の写真の位置です。


@土気から下ってすぐの寿橋から大網方向。旧線は土気を出ると写真奥の住宅がある方へ進んでいました。 A旧線跡は現在、住宅地になっており、痕跡はありません。
BAの道を奥へ進むと現在の土気踏切を通る道に出ます。旧線はさらに先へ続きます。写真中央の木が無いあたりです。 CBの先で現在の線路と合流し、斜めに横切ります。写真中央の鉄塔からこちらに向かって旧線がありました。この写真を撮影した道路ですが、旧線時代は一段下がった西側に橋がかかっていました。
DCから反対側を見たところ。このあたりから深い切通しとなっていましたが、この付近は1990年頃埋め戻されました。現在は宅地造成が進んでいます。 EDの写真から6年後、2010年2月にほぼ同じ場所から。以前より更に土が盛られ、旧線の上にも住宅ができるようです。
F大網街道との交差部から土気方向。交差部と、反対側にある介護施設の部分だけは切通しとなった後も短いトンネルが残っていました。線路跡に沿って道路があり、土地も低いことから切通しを埋め戻したのがわかります。ここも現在は宅地造成により写真のようには残っていません。 G旧線は大網街道をくぐり、善勝寺の横へ。切通しの上に架かっていた橋が今でも残っており、周囲が埋め立てられた今はもはや無駄な手すりです。これがこの区間一番の痕跡でしょう。写真左の介護施設になっている箇所は1980年頃には埋め立てられ、一番深い箇所だった右側の切通しは2000年頃まで残っていたのですが、宅地造成で出た残土置き場に使われ、現在は橋よりも残土の方が高くなってます。
H旧線の横の道路、善勝寺へ登る道には、線路脇によくあるコンクリート柵が残っています。 I残土の山から大網方向を見る。九十九里のほうまで見渡せます。旧線は写真左中央の方へ下っていきます。IからOまでの区間は、ヤフーなどの地図を見ると旧線の上に道があるようになっていますが、実際は立ち入ることは困難です。同区間には切通しの石垣がまだ残っているようです。
JIより先へは進めないので、Gの橋を渡って進み、突きあたりを右へ。土気城跡の横から下る道を進みます。この道は昔から城より大網方面へ抜けるルートとしてあるもので、急坂が続き、昼でも陽は殆ど当たりません。 K現在はまったく使われていないわけではないですが、行く度どこかしらでこうなっていたりします。
L坂を下ると、現在の線路のトンネル出口先に出ます。旧線は現在の線路の手前まで出て、写真左の木々の奥を左へ通っていました。 M線路を渡り、道路から旧線方向を見たところですが跡はわかりません。
N更に進むと三叉路に着きます。写真右が来た方向、奥がO方向、左がS方向。 ONを奥へ進むとすぐ旧線にぶつかります。写真左側は柵が立っていますが、この柵の奥から手前に向かって旧線がありました。柵の先を見るとなんとなく木々が少ない箇所があり、線路が通っていたことがうかがえます。
P少し進むと道路が右斜めにずれますが、ここが踏切跡。但し道路の形は当時と変わっているようです。旧線は反対側、写真左奥に移ります。 Q右が道路、左の緑が生い茂る箇所が旧線跡。旧線はこのあと左へカーブしますが、ここから先も立ち入りはできません。
RQを先に進むと平地におり、Iの切通し跡が眺められます。写真中央、残土が埋め立てられているのがよくわかります。逆に言えば、これだけの山を切り開いたということです。 SNを左に進むと現在の線路の高架橋下に出ます。写真は反対側を見たところで旧線跡を向いていますが、ここからだとあまりよくわかりません。電車内から見ると、山の中になんとなく他と違う丘状の土地が続いているのがわかります。旧線はこのあと現在の線路と一旦交差して少し進んだ後、再び合流します。

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